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osumisan

Author:osumisan
生年月日
  1942年10月21日

趣味
  アマチュア無線
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アユタヤ王朝についての2番目の話題

昨日に引き続き続いてアユタヤ王朝についてのお話をしてみます。アユタヤと言うとクメール人とに深
い関わりがあります。なぜならアユタヤ王朝はクメール人よって建設されたからです。クメール人はど
のような人種だったのでしょうか。クメール人は唇は厚くて目の色は私たち日本人のように黒い目をし
ていました。髪の毛にはくせ毛があり、また皮膚は銅のような色をしていました。身長はと言えば165センチとやや低めでした。そして性格は比較的温和だったようです。クメール人はこのような特徴を持っていたのです。彼らのほとんどの人々は農業によって暮らしておりました。ですからお米を主食としていましたし、魚が好物であったと言われています。このように考えて見ると。どこか私たち日本人と似ているような感じを受けるのではないでしょうか。またアユタヤは別名アヨーダヤーとも呼ばれ、13世紀から14世紀前半まで高度な文化を保持していたようで、貿易も行なわれていたようです。その背景には近くには、ロッブリー川、チャオプラヤー川、パーサック川などがありましたので貿易を行なうと言う環境が整っていたと思われます。アユタヤには1606年、日本使節が渡ったと言う記録が残っており、このときに徳川家康の書を携えて行ったので、それ以後はアユタヤからも日本に向けて貿易船が数多く来航するようになったようです。それで、アユタヤの城外には日本人町が作られ最盛期には1000人から1500人もの日本人が暮らしていたようです。日本の戦国時代(関ヶ原の戦いや大阪の役の後)に主君を失った者たちが流れてきたと言われています。経験豊かな日本人の兵力はアユタヤにとっても魅力的だったようで積極的に雇い入れていたようです。これによりアユタヤは、政治的にも大きな力を持つこととなりました。この町には、浪人や貿易をする者やキリシタンや彼らの配偶者や使用人などで構成されていました。


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